顔面騎乗プレイではめったにフィニッシュしない私でも、たまに一人でオナニーすることはあります。
そんなときのオカズはもちろん顔面騎乗シーン。
根っからの顔騎マニアたる私は、実践のみならず想像の世界でも女性の股間に上から顔を塞がれるという状況に強烈なファンタジーを見出します。なにしろマニアですから。
子供の頃「パンティ泥棒」というマンガを見て顔面騎乗のとりこになって以来、顔面騎乗シーンを探し求めてきました(顔面騎乗との出会い① – 「パンティ泥棒」の衝撃)。
ところが初めの頃はいくら探しても顔面騎乗シーンがまったくもって見つからない。しまいには「誰かの陰謀で顔面騎乗シーンは世の中から周到に排除されているんじゃなかろうか?」と妄想するほどでした(世の中から排除される顔面騎乗)。
そんな状況がかえって私の欲望を駆り立て、ひたすら顔面騎乗シーンを求めてさまようことを促したのです。
今回はそんな自分がこれまで接してきた顔面騎乗メディアの変遷を、自らの視点で極私的に振り返ってみたいと思います。なお、ここでいう”顔面騎乗メディア”とは、観賞用に提供される顔面騎乗の画像・映像を指すこととします。
さて、今思えば「パンティ泥棒」というマンガで顔面騎乗シーンに遭遇したのは奇跡的ともいえる偶然でした。子供の頃、叔父の部屋にあった劇画雑誌をパラパラとめくっていたところ、たまたま目にしたマンガに女性が男性の顔に座るシーンがあったのです。
そのシーンに衝撃を受けて以来、マンガ雑誌やエロ本など手あたり次第に目を通しては、同様のシーンを探すのですが、まったくもって見つからない。つまりセクシャルな世界において、女性が男性の顔に座るという行為はすこぶるマイナーなものだったということです。
現在なら、顔面騎乗のようなマイナージャンルの画像でもネットで検索すればいくらでも見つかります。
しかしながら私が子供の頃のアダルトメディアはすべて紙媒体だったので、そもそも絶対量が現在よりも圧倒的に少ないし、検索なんて当然できない。それゆえマイナージャンルのアダルト画像をピンポイントで手に入れるのは途方もなく困難だったのです。(若い人は想像できるんかな?)
当時のアダルトメディア、つまりエロ雑誌など紙媒体に載せられるメジャーなエロシーンというのは、ややマッチョなテイストというか、例えば「隣の家の奥さんを犯す」みたいな性的エネルギーが有り余る男の妄想が表出したようなものが多かったと思います。
出版社としてはそれらエロ本を売るために、最大公約数の男の劣情をそそるシーンで限られた誌面を埋めようとするのは当然といえば当然。だから当時ほとんど認知されていなかった「顔面騎乗」なるもののシーンを載せるスキマなんて1ミリたりともなかったわけです。
顔面騎乗シーンを求めてやまない私にとってはなすすべもなく、如何ともしがたい状況でした。
そんな状況に一石を投じたのがSMというマニアックなジャンル。1980年代に数々のSM雑誌が創刊され、その誌面に顔面騎乗シーンがわずかながらも掲載されるようになったのです。
中でもSM奇譚やSMコレクターという雑誌に掲載されていた春川ナミオ(以下も敬称略)のイラストは鮮烈でした。
妖艶かつ豊満(過ぎる?)女性が哀れなマゾ男の顔にバーンと座り込んで冷たく微笑んでいる絵柄。それにストーリーが添えられている、という特集ページが毎号掲載されていたんです。
春川は顔面騎乗を中心としたイラストを大量に描いている多作家。彼のイラストの洗礼を受けたという顔面騎乗マニアはとても多いのではないでしょうか? 私もそのひとりですし、日本国内にとどまらず世界中に春川ナミオファンは大勢いると考えられます。
その、極めて精緻に書き込まれたデッサンは鬼気迫るものばかりで、彼自身の顔面騎乗、というか女性に責められ支配されることに対する情念の強さを感じさせます。
おそらく一作仕上げるのに相当な時間がかかると思うのですが、にもかかわらず膨大な数の作品を残している。間違いなく顔面騎乗のひとつの世界観を作り上げて世に広めた、偉大な作家のひとりと言えましょう。
<次回へ続く>
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